殿堂入りの津田恒実・こだわり続けた直球 [野球]

 津田恒実.JPG打者の手元で浮き上がる剛速球。あふれる闘志をそのまま体現したその直球こそが、「炎のストッパー」の異名を持つ津田氏の代名詞だった。32歳で逝去してから今年で丸19年。思わぬ吉報に夫人の晃代さんは「本人が一番驚いていると思います」と故人の思いを代弁した。

 実働10年間のプロ生活は故障との闘いだった。2年目以降は度重なる右肩痛や右手中指の血行障害に悩まされた。それでも、1986年にはリリーフに転向し、22セーブを挙げてリーグ制覇に貢献。信条にしていた「弱気は最大の敵」という言葉を胸に、脳腫瘍が発覚する直前まで、頭の痛みをこらえながらマウンドに立ち続けた。
晃代.jpg
 引退した91年は、広島がリーグ制覇した年。選手たちはシーズン中、津田氏の回復を願い、ユニホームのポケットにお守りを入れてプレーしていたという。「チームの誰からも愛されていた。あの年に優勝できたのは恒実のおかげ」。当時監督を務めていた山本浩二氏はそう振り返る。

 広島の現本拠地であるマツダスタジアムには、「直球勝負 笑顔と闘志を忘れないために」と書かれた、通称「津田プレート」が埋め込まれている。自身の代名詞だった剛速球のように、疾風のごとく駆け抜けた人生。直球勝負にこだわり続けた背番号14の雄姿は、ファンの脳裏に深く刻まれている。

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